CMOからのお知らせ

日本家庭学習支援協会では、家庭学習力向上のために、はたらきかける人を CMO(シーモ)と呼んでいます。 CMOにより、家庭学習力の向上に貢献し、子どもたちの明るい未来をつくっていきます。 CMOを職業として確立することにより、さまざまな教育問題の是正に寄与し、日本の社会、経済発展に貢献していくことを目的とします。

【小学生の歴史入門】弥生時代ってどんな時代!?

 ・弥生時代とは!?

紀元前5~4世紀ごろから紀元後3世紀ごろまでが弥生時代です。

弥生時代といえば、稲作です。

大陸から稲作が伝わったことで人々の歴史は大きく変化しました。

どのように変化したのか考えてみましょう。

 

・弥生時代の米づくり

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これは石包丁です。稲の穂をつみとるのに使った道具です。

今ですと、コンバインを使って取っていきます。

昔は一つ一つ地道にとっていました。

f:id:cmocmo:20151022110934p:plain(コンバイン)

 

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これは、田げたです。田植えのときにはいていました。

何でこんなものをはいていたのか考えてみましょう!

 

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これは、高床倉庫。湿気を防ぐために床を高くしています。

また、柱の上の板はねずみ返しといって、ねずみが入れないようにもしています。

f:id:cmocmo:20151022112204p:plain(ねずみ返し)

高床倉庫の特徴は、まずは「湿気を防ぐこと」になります。

大規模な稲作のあとが見つかった例として登呂遺跡(静岡県)が有名です。

 

・米づくりがもたらした変化とは!?

下の写真を見てください。これは当時の人骨ですが、何か気づきませんか!?

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そうです。首がないのです。

なぜ、首のない人骨が発見されたのでしょうか?

 

・貧富の差が生まれる

稲作が伝わったことにより、争いが始まるようになりました。

上の写真は争いを物語る首のない人骨です。

争い始まったことで、人々は土地や米を守る必要があります。

そこで、考えられたのが、ほりで囲まれた環濠集落です。

ほりがあれば、攻めにくくなります。見張りのための高台もつくられています。

吉野ヶ里遺跡は環濠集落が見られることでも有名です。

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また、争いに勝った方は負けた方を奴隷にして使っていました。

こうして、身分の差も生まれました。

 

・まとめ

土器もぶあつい縄文土器からうすい弥生土器となって鉄器といわれる武器や工具、青銅器といわれるお祭りなどでつかわれたと思われる銅剣や銅鏡なども作られました。

そして、支配者といわれるリーダーが登場し、小さいけど国ができるようになりました。

支配者が現れると貧富の差がはじまり、争いが起こり、身分の差ができるようになりました。