【小学生の歴史入門】古墳時代ってどんな時代!?
・古墳とは!?
3世紀の後半から7世紀にかけて、数多く造られた当時の王たちのお墓です。
この間を古墳時代と呼び、3世紀後半~4世紀を前期、4世紀末~5世紀を中期、5世紀~7世紀を後期と言います。7世紀頃を終末期とも言います。
中国の史書『魏志倭人伝』の邪馬台国の話から、大和政権が登場するまでの百年余り。その間の事は外国にも日本にも、記録はいっさい残っていません。
その空白の時代が、3世紀後半~4世紀にかけての頃で、そこに突如現れるのが、巨大な古墳です。
卑弥呼の時代でも、権力者が亡くなると、墓を造り埋葬をしていました。
しかし、それは、そんなに大きなものでは、ありませんでした。
・ちょっと確認!卑弥呼の国
2世紀~3世紀の頃は、邪馬台国(やまたいこく)という国があったとされています。
これは、中国の「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に書かれていました。
この邪馬台国の女王が卑弥呼(ひみこ)でした。
卑弥呼は30あまりの国をしたがえていました。
卑弥呼は、おまじないのようなもので神様からのお告げをみんなにつたえ、国の政治を行っていました。魏に使いを送り、魏は「親魏倭王」という称号や銅鏡をさずけました。
この邪馬台国はどこにあったのかはっきりとは分かっていません。
・なぜ古墳をつくったのでしょうか?
大きな古墳をつくるのはたいへんです。今のように機械などがないので、ぜんぶ人間の力でつくらなくてはなりません。
たくさんの人を長い間働かせなくてはならないわけですから、普通の人ではこんなことは出来ません。
古墳をつくるには、王のような強い権力を持った人でなくてはつくれませんでした。
このように、自分の強い権力を見せつけるために、大きな古墳がつくられた理由です。また、古墳をつくったことによって、子孫にも権力をひきつがせる目的があったと考えることもできます。
・まとめ
古墳のまわりには埴輪とよばれる素焼きの土器がおかれました。
武人や家、船などさまざまな埴輪が発見されています。このことから当時の生活の様子も分かります。当時の生活が分かるという点では、縄文時代の貝塚と一緒です。
古墳時代は古墳の名前や位置を覚えるのも大切なことですが、「なぜ古墳をつくったのか」も考えられるようにしましょう。
(覚えるべき古墳)
大山(大仙)古墳(大阪府堺市)
→日本最大級の前方後円墳。仁徳天皇の墓と考えられている。
稲荷山古墳(埼玉県)
→「ワカタケル大王」と書かれた鉄剣が見つかる。
五色塚古墳(兵庫県)
(さらに詳しく勉強したい子は ↓ )
歴史の知識:もっと古墳を知ろう〜造り方・基礎から高松塚古墳壁画・四神相応思想まで〜
また、古墳から分かったことに、当時のヤマト政権の影響力があります。
4世紀頃から近畿地方を中心に力を持っていたのがヤマト(大和)です。
後の天皇である 大王(オオキミ)を中心として豪族が集まった集団です。
この大和国家はどんどん大きくなり、5世紀ごろには九州から東北地方の南くらいまで支配するようになります。
埼玉県の稲荷山古墳では、「ワカタケル大王」と書かれている鉄剣が見つかりました。
「ワカタケル大王」は歴史書に出てくる雄略天皇であり、中国の「『宋書』倭国伝」という本に書かれている倭王の武であると考えられています。
その「ワカタケル大王」の文字が埼玉県にあったということは、少なくとも当時のヤマト政権の影響力が関東地方まで及んでいたことが分かります。
ちなみに熊本県の江田船山古墳でも、ヤマト言葉が書かれている太刀が見つかっています。これらのことから、ヤマト政権は5世紀後半には、九州地方から関東(東北南部)あたりまでの地域を支配下においていたのだと考えられています。