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CMOからのお知らせ

日本家庭学習支援協会では、家庭学習力向上のために、はたらきかける人を CMO(シーモ)と呼んでいます。 CMOにより、家庭学習力の向上に貢献し、子どもたちの明るい未来をつくっていきます。 CMOを職業として確立することにより、さまざまな教育問題の是正に寄与し、日本の社会、経済発展に貢献していくことを目的とします。

【親子で戦争について考えてみよう】〜第一次世界大戦〜

世界平和記念日とは、1918年11月11日、ドイツとアメリカが停戦協定に調印し、第一次世界大戦が集結したことを記念し制定された日です。

 

・第一次世界大戦のはじまり

1914年、オーストリアが併合していたボスニアのサラエボにてオーストリアの皇太子夫妻がセルビアの青年により暗殺されます(サラエボ事件)。

これにより、オーストリアはセルビアに宣戦します。

 

その頃、ヨーロッパでは激しい植民地争いが行われていました。

特にバルカン半島という場所は、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、

「一度火がついたら大変なことになる」と恐れられていた場所でした。

この場所は、アジアとヨーロッパの境目であるので白人と黄色人種との対立、

またキリスト教とイスラム教などの宗教争いなどなど紛争の絶えない地域でした。

 

これに乗り遅れまいと各国、各々の思惑を胸に次々とこのオースリアとセルビアの戦争に参戦していきます。そして、第一次世界大戦が始まります。

この戦争では三国同盟を形成したドイツ、オーストリア、イタリアと三国協商を組んだイギリス、フランス、ロシアが激しく争うことになります。

ドイツを中心とした三国同盟側を同盟国。イギリスを中心とした協商側を第一次世界大戦では連合国と呼びます。

イタリアはオーストリアと仲たがいしていた為、後に連合国側で参戦することになります。

 

・日本の参戦

この戦争は主にヨーロッパで行われた戦争です。

日本には、あまり関係のない話なのですが、日本はこの戦争に参戦します。

当時、日本はイギリスとの間に日英同盟を結んでいました。

(日露戦争の直前、ロシアの勢力拡大を恐れていた日本とイギリスは同盟を組みました)

 

そして、この同盟の内容のひとつに「どちらか一方が二カ国以上の国を相手に戦争を始めたら、もう一方の国も味方して参戦する」という約束事がありました。

今回の第一次世界大戦では、イギリスが二カ国以上の国を相手に戦争を始めたわけなので日本もイギリスに味方し参戦する大義名分ができました。

日本にとってヨーロッパで起きている戦争なんてどうでもよかったのですが、第一次世界大戦を通じて中国への勢力拡大を企てました。

日本は、列強国がヨーロッパの戦いに夢中になっている間に、中国に出兵します。

名目は、同盟国イギリスの敵であるドイツの中国基地を攻撃することです。

ドイツの中国での拠点青島(チンタオ)やドイツ領南洋諸島を占領します。

そして、日本は中国に二十一か条の要求を突きつけます。

二十一か条の要求は、山東省にあるドイツの権益を日本に引き継ぐこと、中国政府へ日本人顧問を採用すること、旅順、大連(韓国に近い中国の土地)の租借(借りる権利)期間や満州鉄道の租借期間の延長が盛り込まれていました。

 

・第一次世界大戦の終わり

ロシアでは、当時ニコライ2世による政治が行われていましたが、貧しい国民は苦しみ、しかも戦争で余計に犠牲を強いられていました。

そんな中、1917年、レーニンの指導により革命が勃発、皇帝を処刑し世界初の社会主義国家、ソビエト社会主義共和国連邦が成立しました。

これにより、ロシアは第一次世界大戦から戦線離脱します。

 

第一次世界大戦では、新兵器も登場し多くの犠牲者を出すことになります。

(第一次世界大戦時の新兵器:戦車、飛行機、潜水艦、毒ガス)

 

アメリカははじめ中立でしたが、1917年にドイツが中立国の商船でも警告なしに沈める無制限潜水艦戦を開始すると、参戦して協商国を助けました。

アメリカの参戦により、戦況は一気に連合国側に有利に傾きます。

また、スペイン風邪(インフルエンザ)が大流行し、ドイツの兵力を奪っていきました。敗戦濃厚となってくるとドイツ国内では、反戦運動が広まり、皇帝ヴィルヘルム2世は退位を余儀なくされます。

 

そして、1918年、連合軍勝利により第一次世界大戦は終わりを告げることになりました。

その後、1919年にパリ講和会議にて勝利国と敗戦国の間でいろいろなことが決められました。重要なのはベルサイユ条約というドイツに対しての条約です。

この条約によりドイツは膨大な金額のお金を取られ、海外の領土の没収など、大変な条約を結ばされます。

しかし、ドイツに対して厳しい制裁を課かしたことは、次の世界大戦の伏線となりました。